自分が今よりもっともっと、仕事が出来たら、みんなを助けられるな!
そしたら、きっとみんな楽しくなるだろう。
「無理、無駄、わからん」なんて、自分が決めた自分の檻だ。
そのくせ、その檻から出る理由を外に向けるのは間違ってる。
方法は無限だ!
可能性も逃げない!
逃げてるのは、いつでも自分自身だと常に頭に叩込め!
俺は誰とも競争しない、
市場原理主義のイケイケ起業家も関係無い!
俺は俺だ!
気持ちが沈むと昔の事をよく思い出してしまう。
今日は東京へ向かう新幹線の車窓から見た、掛川あたりで宮崎の事がふっと思い浮かんだ。
「あそこにあのままいたら、今の僕は何していたのだろう?」すごく不思議だ。
旅をするのが好きだ。
「こことは違うどこかに」って気持ちで行く旅はどこか寂しげだ。
常に何かが僕の後ろに残ってる。
今思えば、そんな時はいつも逃げてたんじゃないか?
と最近は思うようにしている。
けどそんな事は、昔も今も分らない。
つまりそういう感傷の数だけ「後悔」があるだけのように思えて、その度合や数は人それぞれか・・・
「満足」と密接な関係があるようにも思え、また満足も細分化出来そうだ。
そしてそれは数多の選択肢の先にくっついているカサブタみたいなもんで、
それがどうであれ人はそれを剥さずにはいられない
1人は寂しいが、誰かのペースに合わせようとすると苦しくなる。
イスラムとカトリック、その他諸々の人種が「考え方」「生き方」の違いで相容れなくて戦っている。
自分なんかは日本人で、今の歳になるまで他宗教の方と交際をした事は無いが、
多分想像以上に大変な障害があるのだろうと思う。
「一つの思想で全人類を統一出来たら、争いも無くなるのか?」
などと今までに何人の英雄が考えた事だろう・・・
会社、
みんな何かを拠りどころにしたくて会社にいるんじゃないか?
企業理念、代表のヴィジョン、経営方針・・・色々ある。
家族、
何で一緒にいるのか??
・・・・・・・・・・・・・
家族だからかな。
それは「愛」だな。
「愛」の衛星は何の回りを回るか??
色んな「愛」は何をもってして調和を保っているのか?
「個」が強くなっていくのは良いことだ。
けどそこには何か自分意外に対する「思いやり」みたいなものが必要だと思う。
「稼ぐが勝ち」と誰かが言っていたが、
勝っているときに、そこに負けている人がいるって事を意識してるのかな?